くさかべかさくの【ぼく拾い上げです】

4月の映画「はじまりへの旅」




6人の子供を持つ父親ベンは、山の中で自給自足の生活を家族と共に営んでいた。彼ら7人は社会から隔絶され、教育は全てベンによる自宅学習と訓練(戦闘等)に依っていた。そんな中、精神病で独り街で療養していた妻が死んだとの報せが入る。妻方の父母は教会で葬儀を挙げようとするが、亡き妻が仏教徒であり葬儀等の方法を示した遺言状があるにもかかわらず無視される現状に立ち向かうべく、ベンら一家は山を下り、街の教会へと向かうのだった。

ヒッピーの男が子供をその自然主義の下に育てたらどうなるのか、という映画。

山の中に住む彼らの生活には現代社会とは半隔絶状態にあります。
昼食は山の中の鹿などを弓やナイフで殺し、皮を剥いで調理したものを食べ、それが終わると訓練として断崖絶壁をクライミングし、その後は自分の身を護れるよう護身(というよりは戦闘)術を実践。
学校には通わず、父のベンが与える本や彼の口述から知識を得て、さらに課題としてその内容を兄弟たちの前で発表させる。
発表といっても、中高の教育レベルではなく、「宇宙ひも理論について」レベルのことをやらせているため、彼らはいわゆる同年代の普通の子供たちよりも知的レベルが高い。

ただし、彼らの生活はその山の中での家族内部で完結しているため、外の社会の人たちとのコミュニケーションは当然歪みが生まれます。

そのやり取りがコメディタッチで描かれるのですが、そこは申し分なく、期待していたものが期待していたとおりに出てくるので安心して笑って見ていられます。予告でもローストチキンについて「シメ方は?」と言っていますが、ああいう形のすれ違いがテンポよく出てくるので見ていて飽きません。

物語後半では、次男レリアンや長男ボゥドヴァンによる「自分たちは普通の社会に出るべきなのでは」という葛藤を軸に話が動いていきます。

最終的にはベンが「悪気の無い過ちだった」として自分の教育方法を正すのですが、つまりこれは自然に還った人々――自然回帰主義が現代社会に敗北する物語だと言えます。

自分の身は自分で守り、腹が減れば動物を追い、暗くなったら眠る。
教養は書物から得て、権利章典を咀嚼し、文明人として振る舞う。

ベンとしてはそれで良かったはずでした。

しかし、ベンに隠れて一流大学の入学試験を受け合格していたボゥドヴァンから「僕は何も知らない(だから大学に行かせてほしい)」と反発され、さらに娘のヴェスパーが事故で病院に運ばれ、現代医療により一命をとりとめます。
物語冒頭では訓練中にレリアンが手首を打撲(骨折か)した時には「助けは来ない。自分で何とかするんだ」と豪語・指導していたベンですが、先の出来事により、物語後半では、自身の自然回帰の限界に打ちのめされ、現代社会に取り込まれざるをえなくなります。

子供たちの視点から見れば、この映画は間違いなく成長の物語なのですが、父親の視点から見れば教育における挫折の物語でもあります。

別に子供たちが非行に走った訳でも、悪行に及んだ訳でもない。
むしろ彼らはベンの言葉に対して非常に従順であり素直でした。

それゆえに、ベンは自身の挫折を誰のせいにすることもできず、ひたすら自分でその責を負うしかありません。

そこから出てきた言葉が前述の「悪気の無い過ち」というものです。

かつて妻とともに話し合い実践した教育手法が、妻亡き後でその家族(妻の両親)から否定され、子供からはその限界を突き付けられる。

コメディタッチの映画であり、ラストシーンまでの流れもハッピー寄りなのですが、見終えた後には微かな挫折の味が口の中に広がっているのではないかと思います。

【 かなしい 】★★☆☆☆
【 たのしい 】★★★☆☆
【 ハラハラ 】★★☆☆☆
【お気に入り度】★★★☆☆




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