くさかべかさくの【ぼく拾い上げです】

3月の映画「たかが世界の終わり」




観終わった後、何とも言えない気持ちになる映画。

12年ぶりに帰郷した三十代半ばの主人公ルイ。
彼が戻ってきた理由は自分の僅かな余命を告げるためだった。
好意的に迎える妹のシュザンヌと母マルティーヌ、反して冷めた様子で彼を見る兄のアントワーヌ、そしてどこか煮え切らない態度を見せるアントワーヌの妻カトリーヌ。
上滑りする家族の会話が続く中、ルイは当初の目的を果たせないまま、自身の余命のことを言い出せずにいたが――。

前に見た「雨の日は会えない~」同様、物語内での説明が抑えられており、観客に読み取りと解釈を大きく委ねる映画でした。

どうやらルイは同性愛者であり、それをきっかけとして過去に家族に亀裂が走ってしまったのではないか、と読める部分はありますが、それも定かではありません。

彼の余命を縮めた原因が何かということも語られませんが、そこに意味を結ぶ付けるとすればHIV等の病気に罹ってしまったのではないか、と考えることもできます。

と言っても、物語上重要なのはそこではなく、映画の大部分の時間を割く家族間の会話です。

アントワーヌは終始苛々して全員にことごとく突っかかっていくのですが、それも全てはルイが帰ってきたせい。
途中、ルイと二人でドライブに行くシーンがあるのですが、そこでもアントワーヌはルイとの会話にイラつき、怒りを露わにします。

母マルティーヌが言うには、アントワーヌはルイが出て行った結果、この家に縛り付けられていた。街の工場と家とを往復する日々の中で、ルイにある種の羨望と妬みのような感情が生まれていったのでしょう。

アントワーヌはルイに対して終始「お前は俺に興味なんてない」「俺と話したかったなんて嘘をつくな」などと喝破するのですが、それが非常にヒステリックで当てつけに見えるのですが、その実、きっとそれは事実なのでしょう。

ルイは家族の誰と話す時も、自らはほとんど何も語らず、受け身になって聞くだけ。自分から相手に対して何も問い掛けることも無い。

今回帰ってきた理由にしても、結局のところ自分本位です。

勝手に出て行き、勝手に帰ってきて、自分の死を告げる――しかしそれはアントワーヌにしてみれば、今まで自分が13年間身を置いていた家族にもたらされる無用な障害以外の何物でもない。

他人を気にするでもなく、結局ルイの目的は「自分自身のため」として帰結する。その身勝手さをアントワーヌは許せないのでしょう。

そして母マルティーヌもルイに対して「(あなたのことは)理解できないけれど、愛してる」という旨の言葉を告げるのですが、これもこの家族の中にある緊張感を端的に表していますし、同時に、家族とはそういうものなのだろうなとこちらに共感を覚えさせます。

この母親は息子ルイがこの家族に対して何らの興味が無いことも、理解しようとしていないことも分かっています。そして恐らく、ルイが今回戻ってきた理由も検討が付いているのでしょう。

最後、家族みんなでデザートを食べるシーンで、ルイは結局目的を果たせないまま、アントワーヌの怒りをかってしまい、家を後にすることになるのですが、その時に母から告げられる「きっと次は大丈夫だから」という一言も、前述の母の心中を思えば温かみと残酷さが同居する言葉になっているのが分かります。

ラストシーンでは家に迷い込んだ小鳥が呆気なく死んで床に落ちるのですが、この鳥の姿がルイにおける重要な暗喩になっています。

誰の気にも留められない小鳥の死。
家を後にするルイに今後待ち受けるであろう死は、この家(族)にしてみれば「たかが」世界の終わりに過ぎません。

体力を奪われる映画ですので、余裕のある時に見ると良いと思います。

【 かなしい 】★★★★☆
【 たのしい 】★★☆☆☆
【 ハラハラ 】★★★☆☆
【お気に入り度】★★★★☆




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